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■シルクロード - Silk Road


■シルクロード - 絹の道 -

シルクロードは,『 絹の道 』 とも呼ばれ,中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称で,ローマ帝国と秦,漢帝国や大唐帝国時代の東西交易で,大航海時代以前の南北の交易路や海上の交易路によって,ユーラシア世界全域にわたって行われた国際交易である。
シルクロードという語は,19世紀のドイツ人の地理学者,リヒトホーフェンの著書 『 シナ - China 』 に,『 ザイデンシュトラーセン - Seidenstrassen - 絹の道 』 として記述されたのが最初で,この呼び名を,弟子のヘディンの中央アジア旅行記に使用して以来有名になった。
彼らの著書では,シルクロードを東トルキスタンを東西に横断する交通路を意図していたが,後には中国を起点・終着点とする国際交易路を広く指しても使われるようになった。
日本では,奈良の正倉院に残る数多くの中国製やペルシア製の宝物,天平時代に遣唐使に随行してペルシア人が日本に来朝したことに関する記録などがあり,当時の日本は唐代の東西交通路に連なっていたと認識されていて,現在の大阪市住吉区の摂津国の住吉津は,『 シルクロードの日本の玄関 』,飛鳥京や平城京は『 シルクロードの東の終着点 』と呼ぶことがある。
日本では,中華人民共和国との文化交流が進む過程で NHKが 1980年に放映した 『 NHK特集 シルクロード - 絲綢之路 - 』 で,一躍シルクロードの名は有名になったが,日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムと結びついていて,西安,新疆,ウズベキスタン,イラン,トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言っていいほど『 シルクロード 』という言葉が記され,特に敦煌 〜 サマルカンドの中央アジアといえばシルクロード,という連想は非常に強い。
日本国内でも,幕末から明治にかけて,日本の主要な輸出品であった絹を横浜港に運ぶ交易路が存在し,その集積地があった八王子から横浜にかけての道が 『 絹の道 』や『 シルクロード 』 と呼ばれることがある。

■シルクロードの街 新疆 - しんきょう -

東トルキスタンは,日本の 25倍もの面積を誇る中国の現在の 『 新疆ウイグル自治区 』で,西北に位置し,最も広い面積を誇る省区で,シルクロードの東半分がこの新疆ウイグル自治区を通り,かって多くの西洋人と東洋人が行き来したこの地域は,実に 13もの民族が暮らす 『 人種のるつぼ 』である。

シルクロードに登場する新疆人の約 6割はウイグル人を代表とする少数民族だが,ウルムチの空港から一歩外に出れば,彼らの使うウイグル文字が街中に溢れ,街中にモスクがあり,昼時にはお祈りが始まる。街の中心部では,中山路や人民路に沿って高層ビルが立ち並んでいる。

ウルムチは,私たちが想像する以上の大都会で,『 世界で最も海から遠い都市 』 と呼ばれる新疆の区都 『 ウルムチ 』,ウイグル語で 『 ブドウのある森 』 という意味で,シルクロードの中継点として発達し,今では人口 170万人を抱える大都市に成長。


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